このブログでは、スピリチュアル依存や相手軸から離れ、
現実を生き直す「自己統合」の視点を綴っています。
ツインレイ女性がスピリチュアルの世界に入るのは、これは必然だと思っています。
ツインレイと出逢うと、必然的にスピリチュアルの世界に触れていくことは、
女性にとては必要なことだからです。
そしてツインレイの世界の本質を学んでいくためにも、女性が触れていくのは通過儀礼でもあるので、ここは否定はしません。
ただ、スピリチュアルの世界で危惧する点もあるので、私なりの視点で分析します。
スピリチュアル依存の「頑張らなくていい」甘い罠
スピリチュアルに依存している多くの人たちは、「極上の鎮静剤」のようなエネルギーがあることです。それは、「頑張らなくていい」という甘い罠です。
よく、「意識改革」や「周波数を合わせる」といいますが、それは現実の泥臭い問題を解決することではなく、「問題がある現実から意識をそらして、心地よい場所に逃げる」ことを推奨しているようにも聞こえます。
これは、「痛みを感じずに済む側面」そのものです。
過去の痛みを残像だと言ってしまう、残像だから気にしなくていいと片づけてしまうのは、それは今まさに地獄を這っている人に対して「それは幻ですよ」と言っているのと同じことです。
今の痛みを“無かったこと”にしやすいからです。
スピリチュアルの甘い罠は、「私は、何もしなくてもいいんだ(現実と向き合わなくてもいいんだ)」という心地のよい状態になってしまうことが、停滞を選んでしまう。
ツインレイの彼を待つエネルギーも。
スピリチュアルの甘い罠の心地よい安心の中に置いていると、
現実が変ることはないでしょう。
スピリチュアルから現実へ戻す痛み
そしてこれは、「人生や魂の停滞」を招く構造に過ぎません。
ふわっと優しく包み込み、現実を見なくて済むようにしてくれる「極上の鎮静剤」そのものです。
私はスピリチュアルと現実の乖離を見抜き、現実に戻す痛みに苦しんできたので、痛いほどわかります。
その痛みを受け入れた時。泣き笑いしたのを覚えています。
だからこそ、自分の足で立たなければだめだと心底思った。
真のスピリチュアルほど地に足がついているものはありません。
ふわふわスピリチュアルと自己統合の真のエネルギーの違い
では、
ツインレイ女性が自己統合していくためには
スピリチュアルで語られているものと
照らし合わせてみます。
―スピリチュアル界隈―
痛みの扱い
・過去の残像として切り捨てる
自己統合
・楽しむ波動になれば完成
救い
・「心地よい言葉」による一時的な癒し
言葉の重み
・宇宙からおろした「借り物」の言葉
―自己統合の視点―
痛みの扱い
・「痛みを抱えたまま立つ」強さに変える
自己統合
・「醜さや依存を壊す」壮絶な再構築
救い
・「現実を動かす視点」による根本的な自立
言葉の重み
・地獄を見てきた「生き様」から絞り出した言葉
自己統合のエネルギーとスピリチュアル依存のエネルギーは全く違う。
このエネルギーの違いが判ると思います。
この違いが、
ツインレイの現実を動かすトリガーになります。
スピリチュアルの依存になるのは前者。
宇宙や現実が突きつけてくるのは
後者の視点です。
そしてそれは、
ツインレイ女性が自立するため。
「頑張らなくていい」「あなたはもう完璧」という言葉が、
どれだけ人を現実から遠ざけるか。
気持ちは楽になるけど、現実判断が止まりやすい。
そして、”完成している”は、いちばん麻酔として使われやすい。
・しんどさを感じなくていい場所を作る
・現実を直視しなくてもいい言葉を渡す
・「今はまだ大丈夫」と先延ばしできる安心を与える
これは優しさに見えるけど、
導きではなく、保護なんです。
保護は一時的には楽。
でも、長くいるほど自分で立ち上がる足が弱る。
根本は、
人の魂に触れる責任を持っているか。
ここを理解している人は少ない気がします。
スピリチュアルを楽しむのはいいです。
でも、扱いを間違ってはいけない。
情報は、使うもの。
人生を預けるものじゃない。
今の生活・お金・体・選択が動く方へ意識を戻しましょう。
現実を動かすことは、一見地味で孤独に見える。
でも、その先には誰にも奪えない自由があります。
あなたは、
どちらの道に自分の命を(血液を)流したいですか?

